19か国目 インド 〜コルカタ〜
遂に来てしまった、インド。
私の偏見かもしれないが、バックパッカーはインドとタイはマストのイメージがある。しかしそこまでインドには興味がないのが正直な所。
価値観変わるとか言われてるけど、そんな事で変わる程に私の人生観はブレブレではないはず。
不安は衛生面。
ヤンゴンから2時間程のフライトで東の玄関口のコルカタを目指す。コルカタよりも昔の呼び名のカルカッタの呼び名の方がしっくりくる。
隣の席の人がたまたま日本人だった。若い女の子。身なり的に旅人の様子でフライト中ずっと話し相手になってもらった。アジアにハマり1年くらい回っててなかなかヨーロッパに行けてない様子。
特にボランティアをやったりしているみたい、若いのに偉いねぇ…
コルカタにもマザーテレサの建てたボランティア施設があるらしい。予習したので知っていたが少し興味が湧いた。
彼女はバングラデシュを目指すようだが一度インドに入国らしい。
私はアライバルビザだがEビザ取得済みとの事でトランジットの間一緒に取得を見守ってくれる様子。
VISA on arrival
カウンターがあるが無人、流石。
申請用紙も一枚もない、流石。
イミグレーションにも専用窓口があるが見事に封鎖されている。
警備員みたいな人に聞くがたらい回し、実にイメージ通りのインド。
とりあえず普通にビザないけどレーンに並んで入国管理官に委ねる作戦。
取り敢えず申請用紙ゲット。
女の子は乗り継ぎ時間あまりなさそうだったので別れを告げ誰もいなくなった後に入国審査。カードで2000ルピーとカード手数料60ルピーほどだったかな、支払い。
暗証番号入力画面で金額が出ていない…
空港だしこの人のポケットに入るとは考え難いので大人しく入力、領収書は手書きしてコピーしてくると少し待たされてから渡されました。
ターンテーブルに荷物の回収に行く。3点程の荷物と持ち主が現れないからか職員がキョロキョロしている。
後はATMを見付けないと。空港内にATMの看板はあるが見当たらない。警備員に聞いてみたら外よと出口を教えてもらう。なんなんや…
空港を出るともう空気が曇ってる。クラクション鳴らし過ぎ。本当に交通量の多い所だと24時間途切れなく鳴っていると思う。
クラクションなんて20万キロ以上は車乗っただろうが乗ってて使う事はほぼ無かった。
ミャンマーは追い越し時にクラクションを鳴らす様で、その使用方法は正しいと思ったが、インドではただやかましく鳴らしているだけ。ともかく煩いし街はゴミだらけ、唾をその辺で吐きまくる、民度の低さを感じざるを得ない…
プリペイドタクシーに乗り込み市内を目指す。マジで交通ルールは存在しない無法地帯。
日本を発って5か月程経ったが日本人宿とやらに泊まった事がなかったので今回泊まってみることに。
ま さ か の 無 人 。
情報交換とか言うレベルではなかった。600円で貸し切りとはお得と言えばお得なのだが…
トイレに入ったら小さなゴキちゃんが居た。旅中に宿で見たのは初めて。ちなみにヨーロッパでは3か月居たがどこでも姿を見なかった。
宿の人におすすめカレー屋さんを教えてもらったので早速カレー。
ナンはインドでは高級品で食べないと聞いていたが本当にメニューに無かった。これはチャパティという庶民向けのナンみたいなもの。
それらの違いは大きく分けると、粉の種類と発酵の有無らしい。
チキンカレー80ルピーとチャパティ10ルピーx2枚。チキンカレーは辛いよと店員が130ルピーくらいの違うメニューをおすすめして来たが、その手には乗らない!とオーダーしたが本当に辛かったw
サービスで水が出て来たのは感心したが怖くて飲めない…1cmくらい飲んで大人しくコーラオーダー、30ルピー。毎日1cm飲めば徐々に耐性ができそうな気がする。
宿に戻りスタッフに色々聞く事に。山登りが好きみたいで話していて面白い。この時期ならーーーと、ネパールをおすすめされた。
マザーハウスについて聞いてみて、近いし朝起きれたら行く事に。
〜2日目〜
早起き出来たので7時半からのミーティングに参加。
バナナとチャイが振る舞われている。白人多し。中国人もチラホラ。日本人も2人居た。
賛美歌?を歌って祈りを捧げたら、グループ分けされて様々な施設に派遣される様子。
しっかり日本人は日本人で固めてくれた。
バスに乗り9ルピーで施設に到着、もちろん自腹だ。
行き先は一番有名らしいこちら、
死を待つ人の家
路上生活者で死に掛けていた人が保護される施設みたいだ。
脚がない人や目がない人、頭が陥没している人など、かなりハードな人も多い。
自力で歩く事や立つことも出来ない人も少なくない。
ベッドメイキング、歩行リハビリの補助、マッサージ、洗濯、配膳なんかを主にお手伝い。
11時頃に軽食でまたチャイとバナナ。11時半に入居者の食事、その片付けを終えたら12時過ぎに午前の部終了となる。
午後は15時からとの事で多くの人は午前中だけで引き上げる様子。我々日本人チームも午前中で引き上げ、皆でご飯に行く事に。
ショッピングモールのフードコート。180ルピー(270円)程と少し高いが流石に美味しかった。
1人とここでバイバイして、もう1人の人にくっ付いて行く事に。邪魔じゃないだろうか笑
話を聞いていると公務員っぽい。聞いたらそうだった。何となく前の仕事のせいで会話するとその人の職業分かるよね。
アジア初のノーベル賞受賞者はインド人らしく、そのタゴールさんの住んでた家が博物館になってるらしくそこに行く事に。
めっちゃ歩いて、迷って、結局Uber呼んだ。
そして営業時間を5分過ぎてたので閉館してた笑
明日日本帰るから入れて!って言ってもダメ。
大学みたいね〜って言ってたら本当に大学らしい。
さっきの受付の人がやって来てこの後ショーをこの庭でやるよと、50ルピー。安いし折角だから見る事に。しれっと座ってれば始まると思ったが、お金の回収に来た。ベンガル語だけど良いのか!?とおっちゃん。写真撮るなら15ルピー追加、それは要らないかな。
内容はインドの歴史とタゴールの生涯だったかな?多分。子供連れが多かった。こんなショーを観に来るくらいだから育ちの良いご家庭のお子様達だろつ、身なりも小綺麗だった。
近くにソナガチという人身売買や薬漬けになった女性たちが売春させられてるという危険エリアがあるようだった。もう夜だったが2人だし覗いてみる事に。
写真撮ると囲まれるらしい。
それらしい女性が並んでいる。しかしキャッチは皆、男だ。
人通りも多く、ビリヤードみたいなゲームをする人や飲食店なども多くてそんな場所だと知らなければなんとも思わないエリアだった。
ハウラー橋。渋滞がすごい。
イカ釣りでも行くのか。ピンク漁火観光船
ここいらで宿に戻る事に。Uber楽ねー。
またもやカレーとチャパティ、100ルピー。辛くないと言ってたが、やはりちょい辛。
色々話してたら3月休み取れたらどっか行きましょうよ!って言ってくれた。取り敢えず今日1日くっ付いて居たのが邪魔出なかったようで安心、更にそんな事言ってもらえるとは嬉しい。でも多分アメリカとか南米の方なんやなぁ…確かに1週間で南米は勿体ないよね〜と。タイミングが合えば!
彼は明日バラナシに飛行機で行くとの事。私も列車のチケットを明日朝取りに行かないといけないからここで延泊して入れ違いになりそうだ。
宿に戻ると誰もいなかったのに賑やかになっていた。
〜3日目〜
朝からチケットを取りに駅方面に向かう。Googleマップで出るバス番号が実際に走っているバスと違い過ぎるww
フェアリープレイスどのバス!?とお兄さんに聞いたら他の人に聞いてくれておじさんが108番のバスに乗りなさい、ミニバスだよと教えてくれた。みんな優しいじゃまいか。
本当に108と書かれた小ぶりのバスが来た。9ルピーで乗り込む。
バスナンバー違うしもちろん別ルート。こんなバス走ってないよGoogleさん。
どこで止まるのか分からず通り過ぎるのが怖いので少し手前で下車。
こっちに突っ込んだらライフル持った警察?に隣だと言われ
こちらに。
申請用紙がないので探していたら白人のYOUが教えてくれた。用紙に整理番号20と書いてある。今15が呼ばれてるくらい。ネット情報より待たなさそう!
待ってる間にオンラインでも予約出来るよ!と宣伝が。遅いがな!後日ダウンロードして調べたらインドの携帯番号がないとダメみたいでした。
用紙ゲットしたが今度はペンがない。YOUにペン借りる笑
順番になり割とサクサク発券完了、今日の20時と当日取れるとは思ってなかったからラッキー。延泊しないで済むことに。話通りパスポートとビザコピー求められる。ここでお金払えば取れると思っていたがダメみたい。
5分先にコピーできる所あるから行ってこいとチケットお預け。
右出てすぐ左の小道、2分くらい先にあったので通り過ぎていた…5ペソ。
たまにアジアで見るコピー屋さんって初めて利用したけど商売になるのかね。
無事チケットゲット、寝台の安いエアコンなしのSLクラスだったかな?600ルピー。
帰りはサダルストリートでビリヤニ、100ルピーだったかな。
玉子とチキンが米に埋もれている。見た目に反して意外と美味しい。米粒が2cmくらいあって正直キモい笑
最初は有名なブルースカイカフェに行ったが200〜300ルピー越えとインフレが起こっていたので断念。
帰りは歩いて帰還。
イギリス統治時代の名残か洋風な建物もチラホラ。
早めに部屋に戻り情報収集。
丁度今日の列車で同じくバラナシに行く人がいたのでタクシー相乗りすることに。150ずつだったかな。彼も公務員、高校の先生だった。
駅はやはり人が多くカオス。いや、どこもカオスなんだけども。
駅でご飯。やたらと豪華、120ルピーくらいだったかな、食べきれなかった。
意外にも列車は予定通り。
三段ベットが向かい合わせで6つある。下の段に明らかに8人座っているが何処から湧いて来たのか。
自分のベッドである上段には他の人の荷物がたんまり。とりあえず登って避難していたら、おいでおいでと下に引き摺り下ろされた。
白人バックパッカーがいっぱい居ると思ったが意外にも外国人は私くらいだ、珍しいのだろう。凄い絡まれる。
日本の人口やら平均年収やら聞いてくる。聞いたら彼も公務員、政府関係者らしい。それならそんな質問してきた意味も何となく理解できる。
検札が来た。
「困ったことない?」と思いもならない言葉を掛けられて豆鉄砲を喰らった状態で大丈夫と返した後に、私のベッドを誰かの荷物が占拠している事を訴えたら退かしてくれた。
程なくして横にいた女性がおネム。
おやすみなさいして上のベッドへ。
自分のカバンがあるのでかなり寝るスペースはない。
話には聞いていたが、今日途中で寒さで目が覚め寝袋を使った。
寝過ごさない様にだけしないと。
この列車で聖地バラナシを目指す。